2025年5月12日(月)、韓国・東新大学校の柳在淵(ユ・ジェヨン)教授による講演「体験から語る韓国現代史」が開催された。ベトナム戦争から軍事政権時代、そして民主化運動までを、自らの体験を交えて語った90分間は、聴衆に深い余韻を残した。
ベトナム戦争──「戦地から届いた乾パンの味」
柳教授は冒頭、自身の幼少期に受けたベトナム戦争の影響から話を始めた。1960年代、韓国はアメリカの要請を受けて32万人以上の兵士を派兵。戦場に送られた若者の多くが命を落とし、後にトラウマ障害に苦しんだ。
「慰問の手紙を書かされた記憶がある。兵士から送られてきた缶詰の乾パンを兄弟で分けて食べた。あれが美味しくてね」と、当時の生活の中に戦争がどれほど密接に存在していたかを語った。
1・21事態──日常に入り込む軍事国家
1968年、北朝鮮の工作員が大統領官邸・青瓦台を襲撃しようとした「1・21事態」は、韓国社会の「兵営化」に拍車をかけた。住民登録番号の導入、予備軍制度、高校での軍事教練など、一般市民の生活の隅々にまで国家の軍事的支配が浸透していった。
「北朝鮮の脅威を口実に、国家は市民を軍隊の一部に組み込もうとした。その過程で、自由や思想は徹底的に抑圧された」と柳教授は述べた。
「冬共和国」──言論も髪型も国家が支配
1970年代の韓国は、朴正煕政権下の独裁が色濃く、柳教授はこの時代を詩人の言葉を借りて「冬共和国」と表現。学生運動や民主化の叫びは、言論統制、検閲、そして警察による取り締まりにより封じ込められていた。
「ミニスカートが長すぎると警察に捕まる、髪が長いとその場でバリカンで刈られる。そんな国だったんですよ」と、抑圧された日常を振り返る。
光州5・18──民主化運動の原点
1980年、光州市で起きた「5・18民衆抗争」は、柳教授の人生に大きな衝撃を与えた。新軍部による弾圧に抗議した市民が命を懸けて立ち上がったこの出来事は、のちの韓国民主化運動の原点となった。
「5・18はただの地方の反乱ではない。人間の尊厳と自由を取り戻すための普遍的な叫びだった」と力強く語った。
記憶は力となる──未来に向けて
講演の最後、柳教授は2024年のノーベル文学賞受賞作家・韓江の言葉を引用した。
「過去が現在を助けることはできるのか? 死者が生者を救うことはできるのか?」
この問いに、柳教授はこう結んだ。「2025年、韓国国民は答えた。YESと。」
過去の苦しみを直視する勇気が、現在を支え、未来を切り拓く力になる。そして、歴史はまっすぐではないけれど、必ず進歩していく――。そう信じる人の言葉は、時代を超えて心に届く。